地方在住SEが年収850万を稼ぐ転職戦略|地方の給与上限を「東京本社の資本」で突破するロードマップ

「地方に住んでいる限り、年収の天井は決まっている。家族を養いながら年収を上げるには、残業代で稼ぐしかない……」

もしあなたがそう思っているなら、この記事がその常識を壊すきっかけになるかもしれません。

はじめまして、Jyoです。 私は現在、とある地方都市に住みながら、何とか30代で年収850万を達成することができました。

こう書くと「元からスペックが高かったんでしょ?」と思われるかもしれません。しかし、実態はこうです。

  • 文系学部を卒業後、未経験でIT業界へ
  • 1社目の年収は400万円
  • 副業に挑戦して90万円を溶かす大失敗も経験

そんな「どこにでもいる、むしろ失敗多めなパパ」だった私が、なぜ地方にいながら、しかも以前より「楽な働き方」で高年収を掴み取れたのか。

その答えは、単にスキルを磨いたからではありません。「SE×営業」という掛け算と、「東京本社の資本」を地方から活用する戦略にありました。

この記事では、私が10年かけて辿り着いた「地方在住SEの生存戦略」のすべてを公開します。

「今の会社で頑張り続けても、未来が見えない」 そんな悩みを持つパパエンジニアの、一つの指針になれば幸いです。

目次

10年で年収を450万上げた、私のキャリア変遷

私のキャリアは、決して「エリート街道」ではありませんでした。文系卒の未経験からIT業界に飛び込み、試行錯誤しながら「自分の価値が最大化される場所」を探し続けた10年間を振り返ります。

【1社目】年収400万。文系未経験から大手SIerで土台作り

最初のキャリアは、大手SIerのSE(システムエンジニア)からスタートしました。
「これからはPCスキルがないと生きていけない」という危機感だけで、プログラミングもろくに知らない文系学生がIT業界の門を叩いたのです。

  • 主な仕事内容: システムの開発、運用
  • 得られたもの: ITの基礎知識、論理的思考、エンジニアとしての作法

4年ほど勤務し、一通りの実務はこなせるようになりました。しかし、当時の年収は約400万円。
このままSE一本のスキルだけで、劇的に年収を上げるのは時間がかかる」という現実が見え始めた時期でもありました。

【2社目】年収650万へ。ITスキルに「営業力」を掛け合わせる

26歳で転職したのは、集合住宅や法人向けの通信インフラ(Wi-Fi・ネットワーク等)を提案する営業職でした。ITの基礎が身についたところで、次は「対人スキル」と「数字を作る力」を掛け合わせようと考えたのです。

  • 主な仕事内容: 集合住宅や法人に対する通信設備の導入提案・折衝
  • 得られたもの: 顧客ニーズを汲み取るヒアリング力、成果への執筆心、現場をまとめる調整能力

この仕事では、単に営業トークができるだけでなく、通信ネットワークの基礎知識が欠かせませんでした。私は1社目のSE経験を活かし、「技術的な裏付けのある提案」を行うことで、法人顧客やオーナー様からの信頼を獲得。成果主義の環境でボーナスを積み上げ、年収は650万円に到達しました。ここで「技術×営業」というハイブリッドなスキルの市場価値を確信したのです。

【3社目】年収850万。SE×営業のハイブリッド職で「最高年収と安定」を両立

30代を迎え、次に求めたのは「キャリアのさらなる積み上げ」と「家族との安定した生活」の両立です。そこで、SEの専門知識と営業の折衝力、その両方が不可欠な「ハイブリッドな職種」を狙って3社目へ転職しました。

  • 主な仕事内容: 技術的な知見をベースにした、コンサルティング・提案業務
  • 現在の年収: 850万円

現在は、過去2社で培った「作る力」と「売る力」の両方をフル活用しています。面白いことに、希少性の高いポジションに就いたことで、年収は上がったにもかかわらず、残業時間は減り、精神的な余裕も今までで一番大きくなりました。

なぜ「スキル」を掛け合わせると年収がバグるのか?

私が年収850万に到達できた最大の理由は、プログラミングやネットワークの技術を極めたからではありません。
「エンジニアの知識」に「営業の経験」を掛け合わせたからです。

なぜこの組み合わせが「年収のバグ」を引き起こすのか、実体験から分析します。

エンジニア単体では「替えがきく存在」になりがち

誤解を恐れずに言えば、技術だけに特化したエンジニアは、組織の中で「替えがきくパーツ」として扱われがちです。

  • 技術力は、常に新しい波に追い越される
  • 「言われたものを作る」だけなら、より単価の安い若手や外注に代替される

1社目でSEとして働いていた時、私はこの事実に気づき、恐怖を覚えました。技術を磨くことはもちろん大切ですが、それだけで年収を100万、200万と跳ね上げるのは、地方のSIerという環境では至難の業だったのです。

「現場の技術」と「対外的な交渉力」が揃った瞬間に市場価値が跳ね上がる

2社目で通信インフラの営業を経験したことで、私の市場価値は劇的に変わりました。

  • 「中身がわかる」から、顧客に嘘のない提案ができる
  • 「現場の苦労がわかる」から、社内のエンジニアと無理のない調整ができる
  • 「数字の作り方がわかる」から、会社にとって利益を生む動きができる

エンジニアの中には「営業は苦手」という人が多く、逆に営業の中には「技術はさっぱり」という人が多い。この「誰もがやりたがらない境界線」に立てるようになった瞬間、私の希少価値は跳ね上がりました。 3社目の転職で、地方にいながら年収850万という提示を受けられたのは、まさにこの「掛け算」を評価された結果です。

今の仕事が「今までで一番楽」になった理由

「年収が上がると、責任も重くなって忙しくなる」と思われがちですが、私の場合は逆でした。今の3社目が、10年間で一番「精神的にも肉体的にも楽」です。

なぜなら、「自分にしかできない動き」ができているからです。

  • 無茶な要件を営業段階でコントロールできるため、炎上を防げる
  • 技術とビジネスの両面から判断できるので、無駄な会議や手戻りが減る

希少性が高いポジションに就くと、会社からは「あなたに任せておけば安心だ」という信頼を得られます。その結果、裁量が増え、自分のペースで仕事を進められるようになりました。

【地方の壁】どれだけ優秀でも「地元の会社」では限界がある現実

面接で突きつけられた「うちでは前職の給料すら出せません」という言葉

30歳での転職活動。今の土地にに住み続けたいという思いから、まずは地元の優良企業や大手企業の地方支社を中心に検討しました。しかし、そこで突きつけられたのは、個人の努力ではどうしようもない「地域の壁」でした。

地方と東京では、求められるスキルが同じでも「資本力」が違う

転職エージェントを通じて地元の企業数社とお話をさせていただきましたが、年収の話題になった途端、申し訳なさそうな、あるいは困惑したような空気が流れることが何度もありました。

当時、2社目の営業職でいただいていた年収650万円という数字をお伝えすると、ある面接官の方から返ってきたのは、今でも忘れられない言葉でした。

「その金額は、正直うちだと役員クラスの給与になってしまいます」 「地方の一般的な相場からすると、その年収を提示するのは現実的に不可能です」

私のスキルが足りないと言われたわけではありません。むしろ評価はしてくださっているのに、「地方の会社という枠組み」の中では、どうしても超えられない壁があることを突きつけられたのです。

どれだけ現場で汗を流して実績を積んでも、器(会社)のサイズや地域の相場によって、受け取れる報酬の「天井」は最初から決まっている。このとき私は、地方での転職活動における残酷なまでのリアルを身をもって知りました。

地方在住者が狙うべきは「東京本社の会社」一択である理由

この絶望的な状況を突破する唯一の最適解。それが「地方に住みながら、東京に本社を置く会社に所属する」という選択でした。

私は最終的に、東京に本社があり、地方拠点の採用も積極的に行っている企業を選びました。 その結果はどうだったか。

  • 地方企業の面接で「不可能」と言われた650万を、あっさりと200万更新。
  • 年収850万という、地方では考えられない条件での採用。

これは私に特殊な才能があったからではありません。単に「給与水準が高いフィールド」に土俵を移しただけです。地方在住のパパが家族を守り、ゆとりのある生活を送りたいなら、地元の求人誌を眺めるのは今日で終わりにしましょう。狙うべきは、東京の資本です。

30代パパが転職ではなく「副業」に挑戦する理由

ありがたいことに、現在は本業で「年収850万」という安定した環境に身を置いています。しかし、私はここで歩みを止めるのではなく、あえて「副業」という新たな挑戦を始めました。

なぜ、安定を手に入れた今、再び苦労の多い副業の道を選んだのか。そこには30代パパなりの戦略があります。

本業で「安定と高年収」を確保したからこそできる攻めの姿勢

多くの人が副業を始める理由は「生活費が足りないから」かもしれません。しかし、生活のために背水の陣で挑む副業は、時に冷静な判断を狂わせます。

私の場合は、本業で「家族を守れるだけの土台」を先に築きました。 生活の基盤が揺るがないからこそ、目先の小銭を追いかけるのではなく、「1年後、2年後に大きな資産になること」に対して、じっくりと腰を据えて投資(勉強や試行錯誤)をすることができます。この「心の余裕」こそが、長く挑戦を続けるための最大の武器だと考えています。

転職での拡大には限界がある。だから「自分の幅」を副業で広げたい

3回の転職を経て実感したのは、「会社員としての年収の上げ方」には一定のルールと限界があるということです。これ以上本業だけで年収を積み上げようとすると、今度は「家族との時間」や「自分の体力」を削るフェーズに入ってしまいます。

今の私に必要なのは、会社という組織の中での昇進ではなく、「自分個人の力で価値を生み出す経験」です。 本業で培ったITや営業のスキルを、今度はブログという媒体を通して、誰かの役に立つ形に変換してみる。そうして自分のスキルの「幅」を広げることが、変化の激しい時代において本当の意味での安定に繋がると信じています。

90万円の失敗も、本業の土台があれば「貴重な経験」になる

私は以前、副業で90万円という大金を失う大失敗をしました。当時はさすがに落ち込みましたが、今ではその経験すらも「このブログの貴重なネタ」として前向きに捉えることができています。

もし本業の土台がボロボロだったら、立ち直るのに何年もかかっていたかもしれません。しかし、戦略的にキャリアを積み上げてきたおかげで、失敗を「高い授業料を払った勉強代」として笑い話に変えることができました。

このブログでは、私の成功体験だけでなく、こうした泥臭い失敗談も包み隠さず発信していきます。本業を整え、その上で新しいことに挑戦する楽しさを、同じように家族のために奮闘するパパたちと共有していきたい。それが、このブログの原点です。

まとめ:地方在住SEの「勝ちパターン」を再現するために

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

文系未経験からスタートし、転職を繰り返しながら辿り着いた「年収850万」という現在地。振り返ってみて確信しているのは、年収を上げるために必要なのは「がむしゃらな努力」ではなく「正しい戦略と場所選び」だということです。

  • 「技術」に「営業(交渉力)」を掛け合わせる
  • 「地方の相場」ではなく「東京の資本」で勝負する

この2つを意識するだけで、地方に住みながら家族との時間を守り、かつ会社員としての理想に近い収入を得ることは十分に可能です。

もちろん、私のやり方が正解のすべてではありません。私自身、今でも副業で失敗したり、試行錯誤を繰り返したりしている真っ最中です。

でも、「本業で盤石な土台を作り、その上で新しい挑戦を楽しむ」というライフスタイルは、変化の激しいこれからの時代、一つの賢い生存戦略になると信じています。

もしあなたが今、地方でのキャリアに限界を感じているなら、まずは自分のスキルをどう「掛け算」できるか、そして「どこで戦うか」を一度考えてみてください。

このブログでは、これからも私の成功も失敗もすべてリアルに発信していきます。一緒に、家族も自分も大切にできる「人生の攻略法」を探していきましょう!

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この記事を書いた人

Jyoのアバター Jyo 30代パパの人生攻略

はじめまして、運営者の「Jyo」です。 5歳と3歳のパパをしながら、営業・SE職として日々奮闘しています。 30歳を過ぎて感じた「今のスキルのままで大丈夫か?」という猛烈な不安から、自己投資をスタートしました。 最初の1万円を稼ぐことの厳しさや、高額コンサルでの失敗も経験しましたが、その試行錯誤こそが私の財産です。 このブログでは、身銭を切って学んだ「人生を最適化する方法」を共有し、一歩踏み出したいあなたの相棒になります。

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